ぼこがぼっち鍋を食べる理由(会食恐怖症闘病日記)

会食恐怖症という厄介な病気にかかって早40年。その病気を通したフィルターで世の中を見るとどうなるか?

冷めた少年

どうも、久々小学生ぼこです❗️

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子供っぽい子供⁉️

ぼこは、この病気のせいか、小学校時代は子供らしい子供ではありませんでした。

どこがかって❓

例えば、みんなが集まる場所には行かずにワザと離れて一人で遊んでいるような子って、子供の頃必ず居ませんでしたか❓

ズバリああいう系統の子です(笑)

みんなと一緒という事に関して過剰に違和感を感じたりする子でした。

また、

『人は表向きは綺麗な事を言っていても、裏ではどうせ汚い事を考えているんだ』

と常に考えていて(常にですよ❗️)

あっ❗️そうだ❗️

こんな事がありました…

小学校の時に色んな係ってありませんでした❓

『体育係』や変わったところで掲示物専門の『掲示係』一番楽な『黒板係』(笑)

そうだ❗️

そのままグループ名にもなった『生き物係』なんてものもありましたねぇ(懐しい)

その時は、『壁新聞』(これも懐しい)を作る『新聞係』が教室にハガキほどの大きさの紙を置いて、

『みんなの絵』

と言うテーマで、プリントの裏紙を置き、みんなに絵を自由に描いてもらう。

集まったその絵の中から『新聞係』が選び、いくつか採用して『壁新聞』に張り出す❗️

という企画をやっていました。

普段は大人しく、人前に出たり積極的な行動など全くしないぼこは、なぜか、その企画が気に入っていて、いくつか絵を投稿していました。

その時採用されて張り出された絵。

その絵には、

表は賑やかな繁華街

と同時にビルの裏ではゴミ箱から溢れた汚いゴミが散乱している。

と言う絵でした。

タイトルは

『裏と表』

その心は、、、

『どうせ、人間なんて汚いものだ』

『口では良い事を言っても裏では何考えているのか分からない』(暗い❗️)

本当に純粋な小学生か❓これ❓(笑)

本当は寂しい、、、

でも、今だから客観視して言えますが、当時の子供の頃のぼこは、本当は寂しかったんだと思います。

本当は、みんなの輪に入りたかったし、みんなの中心で居たかったんだと、、、

しかし、どうやって人の輪に入って良いのか❓

どうやって、輪の中で振る舞えば良いのか分からず。

それでいて、人の本心が見えてしまう事により

『人は表向きは綺麗な事を言っていても、裏ではどうせ汚い事を考えているんだ』

とそこに注目して人を遠ざけていたんだと思います。

人に表の顔と裏の顔、『本音と建前』があるのは当たり前なのですが。

当時のぼこは、その事を許す事が出来なかったんですね。

つまり、自分の中に人と同じような『汚い部分』も同時に存在する事を許せなかったんだと思います。

今思うと、『人の表裏』や『人の汚い部分』が存在することは当たり前で、同時に自分の中にもそう言った感情が存在するのも、仕方がないと言う事は分かりますし、今は自分自身がその『汚い感情』に関して許可していますのでだいぶ楽なのですが。

当時のぼこは、そこを『切り離そう』『無い事にしよう』と必死だったのかも知れません。

それがそのまま心の苦しみを産んでいたのかも知れませんね。

まとめ

いかがでしたか❓

久々に小学生ぼこを思い出してみると、どこか懐かしく、どこか切ないような不器用な自分が見えてきて。

同時に、今の自分の成長を実感出来たりもしますね。

あなたも、少しでも共通する部分があったら是非参考にしてみて下さいね❗️

では❗️また❗️

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